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携帯手がかりに身元確認280人…宮城県警 [大震災関連]

東日本大震災で、犠牲者の所持品の携帯電話から遺体の身元確認に結びついたケースが宮城県で約280人に上っていたことが分かった。

 製造番号から契約者を調べ、最終的に親族などに確認した。県警幹部は「遺族のためにあらゆる方法で身元特定につなげたい」と話している。

 4月7日に気仙沼市で発見された30歳代の男性は、財布などの所持品や身体的特徴から身元特定につなげることができなかった。そこで、県警は、着衣のポケットに入っていた携帯電話の製造番号を携帯電話会社に照会。回答のあった契約者情報を基に親族らに問い合わせ、身元を確認した。

 震災発生当初、県警は着衣や身体的特徴などに加え、小学生なら名札、成人なら運転免許証などの所持品から親族らに問い合わせ、確認につなげていた。時間が経過するにつれ、発見される遺体の損傷が激しくなり、身体的特徴などが身元判明につながるケースは減っていった。そこで、当初予定していなかった携帯電話の製造番号を手がかりにするようになった。

海抜0m以下の地域、仙台平野5倍超に拡大…仙台平野 [大震災関連]

東日本大震災による地盤沈下により、仙台平野で海抜0メートル以下の地域が、震災前の3平方キロから、阿武隈川河口付近を中心に16平方キロと、5倍以上に拡大したことが、国土交通省の調査でわかった。

 満潮時に海面以下となる場所も32平方キロから、1・8倍の56平方キロに広がったという。

 津波で防潮堤の損壊が甚大なため、今後、余震による津波や台風時の大波などで浸水する危険性が高まっており、同省や周辺自治体は、防潮堤や阿武隈川などの河川堤防について応急的な復旧を急ぐ。

警戒区域内に取り残されたペット 環境省が現地調査へ [大震災関連]

東京電力福島第1原子力発電所から半径20キロ以内の地域が「避難指示区域」から、立ち入ると罰則規定のある「警戒区域」に切り替わったことで、区域内に残された動物の保護が改めて問題となっている。環境省はペットの連れ出しを検討しているが、どの程度のペットが取り残されているのか実態を把握できていない。このため福島県は28日から5月2日まで、同省とともに現地調査を行う。(油原聡子)

 建物が崩れ、信号が停止した町を、首輪をつけたままの犬や猫が徘徊(はいかい)する。やせ細った体は骨が浮き上がり、車を見かけるとエサを求めるように近寄ってくる-。ペットの救出活動を行っていたNPOなどによると、警戒区域内では、残されたペットたちのこうした姿が目につくという。

 福島県によると、震災前の警戒区域9市町村の犬の登録数は約5700匹。現在、何匹が残されているのかは不明だ。

 当初は民間団体やNPOがボランティアでエサやりなどを行っていたが、22日から警戒区域に切り替わり、区域内に立ち入ると罰則が加えられることから、各団体も立ち入りに躊躇(ちゅうちょ)。環境省や福島県には「何とかして助けてほしい」との電話やメールが殺到しているという。

 富岡町では、庭のおりに残された2匹の犬のうち、体格の大きな1匹が生き残り、もう1匹は頭部だけが白骨化した状態で死んでいるのが確認された。共食いしたとみられる。飼い主の親族の女性(36)は「早く戻れると思い、エサと水は置いていったのだが…」と声を詰まらせる。

 環境省では、一時帰宅の際に住民がペットを連れ出す方向で検討を進めている。ただ、避難の際に係留を解かれてしまった犬なども相当数いるとみられ、うまく“再会”できるかは分からない。「一時帰宅の連れ出しを待つだけでは不十分で、積極的に立ち入ることが必要だ」と環境省の担当者。28日に現地調査を行い、獣医など専門家チームによる救出も検討している。

 4月上旬に浪江町などの避難指示区域で救出活動を行った関西のNPO法人の男性(28)は、警戒区域に切り替わって以降、救助活動を行っていない。「動物の命を救いたい気持ちはあるが、地元に迷惑をかけることを考えると行けない。一刻も早く、警戒区域の動物を管理する必要がある」

 一方、動物の死体などをエサにして生き残った犬が、野生化して繁殖を繰り返し、野犬の増加を招く可能性も指摘されている。

 男性は「NPOで保護した犬は40匹近いが、そのほとんどが不妊手術をしておらず、現地では交尾する犬も見かけた。このままでは野犬が大量繁殖してしまう」と危惧する。

 警戒区域内の動物の救助を政府に求めているNPO法人「地球生物会議ALIVE」(東京都)の野上ふさ子代表は、「高濃度の放射線を浴びた犬がエサを求めて、除染されないまま区域外に移動する可能性もある」と指摘している。
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<東日本大震災>役場のんだ津波 「高台へ」直後、黒い塊 [大震災関連]

のどかな港町が消えた。東日本大震災で、人口の1割以上にあたる1724人が死亡または行方不明となった岩手県大槌(おおつち)町。加藤宏暉(こうき)町長(当時69歳)もその一人だ。消防防災無線が「大津波警報」を伝える中、町長らは港近くにある老朽化した庁舎の外で災害対策本部の会議を開こうとしていた。来るはずのないと思われていた津波は、そこを襲った。【木村文彦、高木香奈、五十嵐和大】

 ◇暗 転

 3月11日、岩手県沿岸南部は、よく晴れて最低気温は氷点下4度前後まで下がった。

 午前7時半すぎ、加藤町長は妻周子(しゅうこ)さん(63)の用意した朝食をとった。「行ってきます」。午前8時半、弁当を手に乗り慣れた軽自動車で出勤。それが周子さんの聞いた夫の最後の言葉だった。

 午前中は、新年度予算を審議する町議会本会議に出席。午前11時半ごろに閉会した後は、2階の執務室にいた。午後2時46分、激しい揺れは周辺地域で震度6弱を観測。庁舎は停電した。

 「ジャンパーを着ていった方がいい」。加藤町長は、2階の副町長室から外に飛び出そうとした東梅(とうばい)政昭副町長(66)に声を掛けた。

 消防防災無線は、大津波警報を伝えていた。職員は指定避難場所で誘導役を務めるため、町内に散った。町の地域防災計画では、津波注意報かまたは震度5以上を観測した場合、災害対策本部の会議を開くことになっている。余震が続く中、東梅副町長は「役場内は危険」と思った。役場前の駐車場で会議を開くことになった。

 2階建て庁舎は築50年を超える。耐震改修したものの、町議会で移転問題が取り上げられた。港から約300メートルで、標高はほとんどない。県の津波シミュレーションは「1メートル以上2メートル未満の浸水地域」に指定。60年のチリ地震津波で、庁舎は床上浸水した。

 防災計画は庁舎が使えない場合、裏山にある中央公民館に災害対策本部を設置するように定めている。ラジオを聞いた職員が「到達する津波は(一番高い宮城県でも)6メートル」と言った。東梅副町長は「6.4メートルの堤防があるので防げると思いこんでいたので、避難は考えなかった」。

 ◇漂 流

 役場前のくみ上げポンプから地下水があふれ出た。加藤町長は職員数人と言葉を交わしていた。午後3時ごろには断続的な揺れが収まり、約30人の職員が駐車場に机や椅子を並べていた。一方で繰り返される大津波警報。不安が募った。沢舘純一総務課長(当時56歳)が「中央公民館に移動しよう」と呼びかけ、並べた机などの片付けが始まった。

 その直後の午後3時20分すぎ、土煙を上げた壁のような黒い波が迫った。「津波だ」。庁舎しか逃げるところがない。庁舎の内外にいた職員は3カ所ある階段のうち、玄関に近い中央階段に殺到。屋上に通じる鉄製はしごをはい上がるなどして屋上に逃れたのは東梅副町長ら22人。加藤町長はどこへ逃げたのか。混乱の中、職員たちは一様に「覚えていない」。

 町総務課の四戸(しのへ)直紀さん(32)は外から戻ったばかり。近くのガソリンスタンドに津波が迫るのを見て2階に駆け上がり、奥の会議室に入ると、沢舘総務課長ら数人がいた。

 水が入ってきた。机に上ったが、水位は上昇。顔の高さまで達した時、沢舘総務課長と目が合った。「もうだめだ」と思った。1分ぐらい沈んだか。海水を飲み、息ができず苦しかった。真っ暗で何も見えない。足に何かが当たり、けると、水面から頭が出た。

 泳いで屋上に上がろうとしたが、波の勢いに押し流された。漂う家の屋根に上がった時、第2波に襲われた。役場から東に300メートル離れたポンプ場の建物まで流され、外側の鉄製はしごに飛びつき、屋上に上った。役場屋上に避難した職員から、名前を叫ぶ声が聞こえた。手を振り応えた。「眠ったら死ぬ」。火に包まれる町を見つめ、震えながら一夜を過ごした。

 ◇風 景

 加藤町長の妻周子さんは、連絡が取れない夫の安否を心配していたが「役場で頑張っていると思っていた」。だが2日後、東梅副町長らが訪れ「行方不明」を告げた。

 震災から8日後、町長の遺体は役場から500メートル北の国道45号近くで見つかった。服の中に名刺があり身元が判明したという。

 3カ月前、3人目の孫が生まれたばかり。「1回しか抱けなかったことが心残りだったと思う」(周子さん)。町長は高台にある自宅の茶の間から見る町が大好きだった。周子さんは言う。「今は、窓から変わり果てた景色が見える。カーテンを開けるのが怖い」

 役場職員の死者・行方不明者は32人。沢舘総務課長は4、5日後、役場の北約250メートルで遺体で見つかった。残る100人余りの職員が今、役場機能の維持に懸命だ。なぜ高台の中央公民館に災害対策本部を設置しなかったのか。「検証しなければ、亡くなった職員に申し訳ない」。後任に就いた平野公三総務課長は誓う。

<東日本大震災>緊急地震速報、なぜ外れる? [大震災関連]

東日本大震災後、震度5弱以上が想定される場合に出される緊急地震速報の発表回数は70回を超えた。だが、速報が出ても大きな揺れが来なかったり、違う場所で地震が発生するケースが今も相次いでいる。震災発生直後は地震計のダウンが影響していたが、今は全て復旧済みだ。なぜ外れてしまうのか。【飯田和樹】

 気象庁は24日午後8時50分、福島県会津地方を震源とする地震によって強い揺れが予想されるとして、緊急地震速報を発表した。地震の規模を示すマグニチュード(M)は6.5と予測され、震度は福島県会津で震度6弱~5強、山形県置賜で5強~5弱、福島県中通りで5弱、栃木・新潟・宮城・茨城の各県でも4程度と見込まれた。だが、観測された最大震度は福島県いわき市の「3」で速報の内容と大きく異なった。

 気象庁によると、実際には会津地方で起こった地震は揺れを体に感じない程度の「無感地震」だった。この地震の約14秒後、福島県浜通りを震源にM3.6の地震が発生し、いわき市で震度3を観測したのだった。

 緊急地震速報は、震源近くの地震計で最初に観測された小さな揺れの初期微動(P波)のデータから震源やMを推定し、遅れて到達する強い揺れの主要動(S波)の大きさ(震度)や到達時間を予想する仕組み。地震が頻発していない時には問題は生じないが、気象庁管理課は「現在のように地震活動が活発な時には、震源決定の精度が落ちてしまう」と話す。

 24日夜の緊急地震速報はどうして誤ったのか。まず午後8時50分4秒に会津地方を震源とするM2程度の地震が発生し、同地方に防災科学技術研究所が設置した地震計がP波を検知。一方、約14秒後の同8時50分18秒、約100キロ離れた福島県浜通りで、より規模が大きいM3.6の地震が発生し、いわき市の水石山に設置された地震計がこの地震のP波を検知した。地震の規模が違うため、水石山で検知されたP波の方が、会津で検知されたP波より大きかった。

 いずれの地震も、緊急地震速報の発表基準である震度5弱以上の揺れを引き起こすとは考えにくい規模の地震だった。ところが気象庁管理課は「二つの地震が短い間隔で発生したために一つの地震として扱い、予測を誤った」と説明する。

 会津地方の地震しか起きていないとした場合、震源から遠いために揺れが小さくなるはずの水石山の地震計で大きな揺れを観測したことになる。このため「震源に近い場所はもっと揺れていると推定し、地震の規模を実際より大きめに推定してしまうことにつながった」(管理課)という。

 大震災発生直後から同様の状況は起きていたが、余震の減少や地震計復旧などに伴って外れるケースは減っていた。しかし、今月11日に福島県浜通りを震源とするM7.0の余震が発生して以降、千葉県東方沖や茨城県沖などで発生する地震と混同して発表するケースが目立っている。

 11日以降、21回の緊急地震速報が発表されたが、うち9回は二つの地震を同一の地震として速報を発表した。また11回は震源の位置が違い、10回は最大震度が3以下だった。

 ◇プログラムの大幅改修 数カ月必要

 東日本大震災発生直後に緊急地震速報を発表する際には、3月12日に長野県北部で発生した強い地震の余震と、大震災の余震の区別をつけることができずに苦労した。気象庁の上垣内修・管理課長は「大震災発生後、同じ領域で1分程度の間に二つの地震が発生する確率は、震災前の25万倍ぐらいになった」と話す。

 これを解決するために気象庁は、緊急地震速報のシステムの設定を調整した。P波を感知した二つの地震計が350キロ以上離れていなければ一つの地震として処理していたのを、150キロ以上まで狭めた。長野県北部と東北太平洋沖でほぼ同時に地震が起きても、別の地震として処理できるようになった。

 だが、4月11日に福島県浜通りを震源とするM7.0の地震が発生した後は、この対策が通用しなくなった。地震の多発地域が福島県浜通りのほか、千葉県東方沖、茨城県沖、宮城県沖などと狭い範囲に集中し、150キロに狭めた意味がなくなってしまったのだ。

 気象庁管理課の内藤宏人・即時地震情報調整官は「150キロより狭めると、一つの地震を二つに分離してしまいかねない。すぐに対処する方法はない」と説明する。

 改善法としては、緊急地震速報に利用していない周囲の他の観測点の情報を取り入れたり、現在は使っていない地震波の振れ幅のデータを取り入れることなどが考えられるという。また、地震計の数を増やせば、震源決定の精度は上がると考えられる。ただ、どの方法も決め手になるかは分からない上、プログラムの大幅な改修が必要で、改善までには数カ月の期間を要する。

 上垣内課長は「改善はできると思うが、どんな条件でも大丈夫という形にするのは難しい。ミスが続いて、緊急地震速報が『オオカミ少年』にならないかと心配しているが、地震計が地震を観測しているのは間違いないので、速報が出た時に危険回避行動をとってほしい」と話している。

亡くなられた人…県警調べ=27日発表分 [大震災関連]

【岩手】

 長谷川泰三(78)(釜石市鵜住居町)▽小笠原登久(76)(同)▽千葉弘(70)(釜石市嬉石町)▽齊藤良一(78)(陸前高田市高田町)▽吉田将寛(5)(同)▽村上成子(76)(同)▽鈴木タミ子(87)(陸前高田市気仙町)▽佐藤恵実(宮城県気仙沼市中みなと町)▽佐々木丈夫(74)(大船渡市盛町)▽村上紀子(66)(陸前高田市高田町)▽三浦勇(62)(大槌町)▽渡部静子(66)(同)▽佐々木敦史(33)(釜石市鵜住居町)▽佐々木恵子(61)(同)▽大久ミナ子(53)(釜石市箱崎町)▽小山義三(73)(同市鵜住居町)▽久保幸生(60)(同)▽若杉伊久男(47)(陸前高田市高田町)▽及川一郎(63)(同)▽佐々木和子(71)(同)▽菊池勇輝(25)(同)

 【宮城】

 熱海一秀(52)(東松島市大曲)▽阿部憲男(59)(石巻市門脇)▽阿部民雄(89)(同市釜谷)▽伊東マスミ(64)(名取市)▽今村あゆみ(28)(女川町女川浜)▽海野郁(42)(仙台市若林区荒浜)
▽梅谷初満(63)(亘理町荒浜)▽江川敞(71)(石巻市南浜町)▽遠藤澄江(49)(気仙沼市四反田)▽及川絹子(80)(岩手県陸前高田市高田町)▽太田健吾(71)(東松島市大曲)▽加藤成子(68)(気仙沼市小々汐)▽小玉道春(48)(同市内の脇)
▽佐藤征三(66)(石巻市北上町)▽佐藤良晴(73)(同市針岡)▽雫石徳榮(76)(東松島市大曲)▽渋谷清雄(71)(石巻市明神町)▽渋谷美恵子(57)(亘理町荒浜)▽鈴木綾子(62)(石巻市長面)▽武田富士美(46)(同市新館)
▽武山久美子(58)(同市釜谷)▽津田義範(59)(東松島市大曲)▽中澤ふみ子(80)(南三陸町志津川)▽畠山訓(36)(気仙沼市松崎)▽濱田千枝子(71)(女川町女川浜)▽平塚寛(61)(東松島市野蒜)▽水谷美佐子(75)(石巻市大門町)

 【福島】

 尾関孝彦(72)(相馬市尾浜)▽尾関ミツ子(69)(同)▽原田やい(63)(相馬市磯部)▽前川久米子(61)(南相馬市鹿島区北海老)▽田村充(56)(同区南右田)▽鈴木謙太郎(64)(浪江町)
▽酒井守(50)(同)▽齋藤勝亀(68)(南相馬市原町区高見町)▽區藤良一(51)(浪江町両竹)▽高田トモイ(90)(同)▽辻本喜美子(51)(双葉町中浜)▽三瓶武(69)(富岡町)
▽平山源造(76)(同町仏浜)▽田中利克(54)(双葉町中野)▽岩崎行雄(80)(相馬市蒲庭)▽舛谷君夫(60)(新地町谷地小屋)▽荒孝(61)(南相馬市原町区北町)▽西谷榛花(12)(新地町小川)

          ◇

 宮城県警は27日、身元が判明したと発表していた「赤塚エイ子」さんを「赤堀エイ子」さん、「西條やよ子」さんを「阿部やよ子(83)」さん、「菅野国雄」さんを「管野国雄」さん、「斉藤文子」さんを「齋藤文子(59)」さん、「高橋公一」さんを「高橋公一」さん、「高山アキ子」さんを「高山アキ子」さん、「飯塚美枝子」さんを「塚原三枝子」さん、「平田りう子」さんを「平田りつ子」さん、「伏見秀悦」さんを「伏見修悦」さん、「松下俊介」さんを「松下俊輔」さんと訂正した。

 また、小野寺嶺さんの年齢を「(83)」から「(20)」、渋谷三郎さんを「(76)」から「(90)」、芳賀友香さんを「(82)」から「(19)」に訂正した。

 さらに、阿部文子さんの年齢を「(58)」、阿部要一さんを「(67)」、岩佐てる子さんを「(89)」、小野やちよさんを「(84)」、小野寺きみこさんを「(72)」、小松吉子さんを「(63)」、小松美利さんを「(69)」、小山かつ子さんを「(69)」、小山つめさんを「(99)」、小山政一さんを「(70)」、平間久美子さんを「(33)」、山本敏男さんを「(71)」とした。

避難訓練 各地で緊急実施 大津波「想定内」に [大震災関連]

東日本大震災を受け、学校や地域社会で、避難訓練の手法や避難場所を見直す動きが広がっている。「想定外」の規模の津波を想定したうえでの安全確保に向け、地域の事情を踏まえた訓練や準備が必要だ。(織田淳嗣)

 ◆校庭で点呼せず

 高知県教育委員会は18日、県下34市町村教委に対し、将来予想される南海地震を想定した公立学校の避難訓練を月内をめどに行うよう指示した。津波対策とともに、新1年生に避難経路を含めた地域の地理を早めに覚えさせる狙いもある。

 海岸から直線距離で約300メートルに位置する室戸市立元(もと)小学校は、これまでの訓練で校庭に集合して点呼をしていたが、今回は、揺れが収まり次第、北側の裏山に避難することにした。これは、東日本大震災による津波で、児童108人中74人が死亡・行方不明となった石巻市立大川小学校(宮城県石巻市)で地震発生直後、児童を集めて点呼(てんこ)を取っていたことが念頭にあるためという。

 ただ、元小学校は斜面に立地し、裏山は県が公表している土砂災害の「危険箇所」。包国浩哉(かねくに・こうや)校長は「危険は解消されていないが、校舎より高い場所はそこしかない。今後、避難経路や場所を検討していきたい」と話す。

「人間らしい生活が足りない」 タイム誌「100人」の内科医、NYで会見 [大震災関連]

米誌タイムの「世界で最も影響力のある100人」に選ばれ、同誌の招待でニューヨーク訪問中の宮城県の内科医、菅野武さん(31)は26日、一部メディアと会見し「被災者が苦難に立ち向かい頑張っている象徴として(自分が)選ばれたのだと思う」との考えを示した。

 また大震災から1カ月半が経過し被災地では、物資などは「ある程度充足されている」とした上で「人間らしい生活が足りない」と指摘。「どう生きていくかのレベルから、どう生活するか、自立するかという時期に来ている」と述べた。

 現場を離れ訪問するかどうか迷ったが、周囲からも被災者の声を直接伝えるようにと言われ、招待に応じたという。

 24日にニューヨーク入りした菅野さんは「うれしかったのは『よくここまで来たね』の後で『休んだら』という声を掛けてもらったこと」と強調した。

東日本大震災 発生30分「震度5弱以上」7回だった [大震災関連]

気象庁は25日、東日本大震災発生(3月11日午後2時46分)から30分間に、最大震度5弱以上の余震が7回起きていたことが分かったと発表した。同じ時間帯に静岡県伊豆地方で5弱以上の地震が発生していたことも判明。わずか30分間に5弱以上の地震が計8回起こっていたことになる。これまでの発表では5弱以上は30分間に2回だったが、地震が多発したために解析に時間がかかったという。

 気象庁が発表していた30分間の5弱以上の余震は、三陸沖で発生した地震(午後3時6分ごろ)と、茨城県沖で発生した地震(同15分ごろ)。だが、記録を精査した結果、福島県沖で午後2時51~58分の間に3回、同3時12分に1回の発生を確認した。また、判明していた2回の余震のうち、3時6分ごろの地震は、岩手県沖で同6分と8分に発生した2回の地震と、静岡県伊豆地方で同8分に発生した地震に分離できたという。

 このほか、同15分の茨城県沖の地震の最大震度は従来の6弱より大きい6強(茨城県鉾田市)で、5弱以上の観測点数は当初の72地点の倍以上の154地点だったことも分かった。気象庁地震津波監視課は「本震の強い揺れが継続している状態で地震が起こったり、同時多発的に地震が起こったため、初期段階では正確に把握できなかった」と話している。
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